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西岡が主人公のアニメ『舟を編む』。
7話は愛人弁当回でした。


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ヒール役を務めた愛人弁当教授は、キャスト一覧にもFAXの送り先にも「小田教授」としかありません。
下の名前は、実は第4話で既に出てきています。

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まあ潰れて読めないんですが。「小田浩輔」かな?
所属は「光文大学文学部日本文学科」で、専門分野は「日本史」とあります。
なお原作の愛人弁当教授は名前がありませんでしたが、「中世文学の権威」(文庫p172。以下ページ数はすべて文庫版)とされていました。

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ちなみに映画版でも「小」から始まる日本文学の教授が。ますますもって読めません。
ただ、大学名が違うし、マーカーがないことから執筆依頼もしていないものと思われます。


立場を利用して土下座を強いる愛人弁当教授、それを切って返す西岡という、勧善懲悪の場面。教授の悪意は原作よりも幾分わかりやすく描かれており、台詞の順番などいくつか原作と相違しています。

ちょっと脱線して(別に脱線ではない)西岡の行動を観察してみます。
原作の西岡は、「教授が食べていたのが愛妻ならぬ愛人弁当だと、ちゃんと知っている」(p154)のですが、それは「助手が集う休憩室にも顔を出し」(p175)て情報収集に勤しんでいたためです。

アニメの西岡が同じ行動をしていたかはわかりませんが、ひとつ明らかなのは、西岡が愛人弁当の中身を目撃しているということ。

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4話の愛人弁当(さっきのアポ取り表の後に出てくる)は、タコさんウィンナーをはじめ冷食っぽいおかずに、ご飯にはピンク色のふりかけで描いたハートマークというけばけばしさ。

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7話の弁当も、そこまでではないものの、ハンバーグにプチトマト、ナポリタンが入っており、そして炊き込みご飯にはハート型の人参が見えます。
ロマンスグレーの文学部教授が自分で作ったことはまずあり得なさそうですし、奥さんにしてもちょっと可愛らしすぎる。
それに弁当箱を包むのはピンクのハンカチ。状況証拠だけでも「若い女と付き合っているんじゃないか」と推測することは十分可能ですね。

したがって、次のように推理します。
西岡は持ち前の観察力から若い愛人の存在を想像し、「例えば先生に愛人がいるとしましょう」と切り出し、その反応を見ながら「まだ若いのに料理がお上手なんですね」とカマをかけたんではないでしょうか。続く「それに、成績も優秀らしいですね」は教え子が相手だと踏んでのハッタリです。

弁当を見ながらの「若いのに料理がお上手」は実のところ、どうとでも受け取れます。愛人に作ってもらったんだろう、などとは誰も言っていません。普段から軽薄な西岡が「娘さんが作ってるのかと思って」と言い訳すれば、ぎりぎり言い逃れのできる可能性があります(今度こそ土下座は免れないにせよ)。
と同時に、これは娘(孫?)の弁当だ、と教授が切り抜ける余地もあったかもしれません。

ですが、教授は大いに怯んだ挙句、「成績優秀」とまで突っ込まれて「君ねえ!」と声を上げてしまいました。「愛人=教え子説は正解です」と告白しているに等しい。そこで西岡はすかさず「さすが、先生の個人指導の賜物だ」というトドメの一手を放ちます。
反撃する最後のチャンス。しかし教授はかすれた声を漏らすのが精一杯で、否定しませんでした。チェックメイトです。

……というのは情報収集力と観察力に欠ける私の妄想ですが、アニメの西岡はマジ有能なので、これくらいは考えて動いていてもおかしくありません。
あ、でも、ここまで頭が回るなら、やっぱり助手に聞き取りするほうが手っ取り早いか。


愛人弁当教授の部屋から立ち去り際、西岡は振り返って言います。

「先生」

「ん」

「『大渡海』に取り組む、うちの編集部の覚悟は、地球のコアより硬く、マグマよりも熱いんです。長く愛され、信頼される辞書を、必ず馬締が作り上げます。ですので、これからもご協力、よろしくお願いします」

まっとうな台詞を吐いて、このタイミングで深く頭を下げる西岡。「頭は優位に立ったときこそ下げるもんだ」という名台詞を思い出します(ゆうきまさみ『機動警察パトレイバー』)。
恫喝の後は綺麗に締めて後味を悪くしない、という感じです。

ところがこの展開、実は原作とだいぶ違うんですね。原作の同じ場面を引いてみましょう。

「先生」

呼びかけられた教授は、哀れな小動物のようにすくみあがって西岡を見た。

「長く愛され、信頼される辞書を、うちの馬締はきっと作りあげるでしょう。先生の名は、その辞書の執筆者一覧に載る。原稿を書いたのは、実質的には馬締ですけどね」

さすがに教授も、黙ってはいられなくなったらしい。事実を指摘されて青ざめながらも、「失敬な」と怒りで震える声を振り絞った。

「なにを言いたいんですか、きみは」

「先生はいま、実よりも名を取る、非常に賢明な判断をされたってことですよ。失礼します」

西岡はうしろ手にドアを閉め、薄暗い廊下を歩きだす。言いすぎたなという思いはあったが、歩くうちに笑いがこみあげてきた。

―『舟を編む』p176

西岡、捨て台詞で退場してます……大人じゃない……。なお、「地球の核(ルビ:コア)より硬く……」のくだりは、原作だとこの直後に地の文で登場します。


さて、この場面で触れているのは、辞書の名義貸しの問題です。
実質的に馬締が作っていても、そしてその内容がどんなに優れていても、「馬締光也が書きました」では辞書は売れない。だから権威である小田何某の名前を編者の中に載せておく、という、商売上きわめて現実的な判断が原作ではなされています。描かれていないにせよアニメも同じことでしょう。

原作の、少し前のページにもこのようなくだりがあります。

辞書は綺麗事だけでできているのではない。商品であるからには、品質を保証するネームバリューは絶対に必要だ。監修者として松本先生の名前を表紙に載せるのは、品質保証の一例だ。松本先生の場合、実際に『大渡海』の編纂に深くかかわっているが、監修者のなかには名義を貸すだけで、実務はほとんどなにもしないひともあるほどだった。

―『舟を編む』p172

長く続いた辞書業界の二大悪習のひとつ「名義貸し」を指弾するこの段落は、誰かの台詞になるわけでもなく、ばっさりカットされています。(ちなみに二大悪習のもうひとつは「引き写し」。)
タイアップしている後ろめたい出版社が名義貸しの話はやめてくれと注文でも付けたのでしょうか。

冗談です。
しかし「名義を貸すだけで、実務はほとんどなにもしないひともあるほどだった」のは事実です。

一例を挙げると、かの金田一京助がそうでした。
辞書と言えば金田一、金田一と言えば辞書、と言ってもいいくらい有名な金田一博士ながら、実際に編集に携わっていたわけではないといいます。このことについて、京助の息子・春彦が直接インタビューで答えています。

――(中略)それにしましても、『明解国語辞典』にせよ、『明解古語辞典』にせよ、表紙に載っているのは金田一京助先生のお名前ですが、京介先生はまったくお書きになってないと?

金田一 一行も書きません。辞典の原稿は書きませんよ、あの人は(笑)。

―武藤康史編『明解物語』pp282-283

金田一京助に関しては〈明解国語辞典改訂版〉編集担当者も「ほんとになにもなさっていらっしゃらなかったですから。見坊豪紀先生などほかの編者の方たちがお仕事をなさり金田一(京)先生は誇張でもなんでもなく名前だけでしたから」という証言もあります。
出典は石山茂利夫『国語辞書 誰も知らない出生の秘密』という本の24~25ページですが、他にも同書では、明治から大正にかけて出た〈辞林〉と〈広辞林〉の編者が表紙に名前の出ている人物ではないことや、また〈広辞林〉初版における編者の関与の度合いなど、国語辞書における「不都合な真実」をずけずけと書いていて、一読の価値があります。

もちろん、故・石山氏が突き止めた名義貸しにせよ、金田一京助にせよ、遠い昔の話です。
今や業界の体質は改善され、読者のリテラシーは向上し、なにもなさっていらっしゃらなかった金田一京助の名前をいけしゃあしゃあと表紙に掲げる辞書などとっくの昔に店頭から消えて……全然消えてないじゃん……。


〈大渡海〉の編纂に深く関わっており「名義貸し」とは無縁、と原作で説明される松本朋佑。

そのモデルとなった人物のひとりは、用例採集に人生を捧げた見坊豪紀(ひでとし)のはずです。
見坊は表紙に「文学博士 金田一京助編」と銘打たれた〈明解国語辞典〉をほとんどひとりで編纂したこともある実務者でした。常に用例カードを手放さないという辺りは原作の松本と同じで(アニメだとあんまりそう描写されていない)、ひとりで採集した用例は実に145万を超えます。人間じゃない。

もうひとりモデルを挙げるとすれば、名前から言っても、松井でしょう。松井誰だよ、となるんですが、複数名いるんですよね。
まず、大正時代に国語辞書を編んだ松井簡治がいます。
その息子である松井驥(き)は、父の事業を継ごうとしながらも志半ばで倒れます。
そして、驥の息子である松井栄一(しげかず)氏は、日本で唯一の大型国語辞書〈日本国語大辞典〉編纂の中心的人物であり、他にも小学館〈現代国語例解辞典〉など複数の辞書に関わっています。

このうち松井簡治は〈大日本国語辞典〉という当時としては大規模な辞書を単独で手がけた人物です。こちらは20年間で20万語、すなわち1日30語以上の語釈を6000日間書き続けて完成しました。
ちなみに前半10年間は文献・用例の収集がメインで実際の執筆は10年間だけだった、という話も聞いたことがあります。もうどっちでもいいです。

そう言えば、前回〈言海〉のところで、飯間先生のこんなツイートもありました。

小型国語辞書〈玄武国語辞典〉はもちろん、学習国語辞書〈玄武学習国語辞典〉、新語辞書(?)〈玄武現代語辞典〉、それに漢和辞書〈字玄〉、そして〈大渡海〉……性格の異なる複数の辞書に、場合によっては立ち上げの段階から実務的に深く携わりながら歳を重ねてきた松本は、やはり只者ではない。
上に挙げた超人的な編纂者らと肩を並べるべき人物であり、それゆえ、彼らの名前やキャラクターを引き継いでいる、と言えるかもしれません。


主人公西岡が悪を斬る痛快辞書アニメ『舟を編む』7話は、作画的にも展開的にも充実していましたが、辞書沼的にも盛り沢山でして、話の中でひとつ大きなテーマになっていたのが「主観と客観」です。
ただ、これはちょっと、私の手には余ると言うか、少なくとも準備が必要なのでいったん避けました。日和ったとも言うんですけど、ともかくそういうわけで、敢えて本編に出てこなかった「名義貸し」の話を取り上げてみた次第です。

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