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『舟を編む』4話が放送されました。
私が「恋」の語釈の調査でもたついているうちに、辞書編纂は前進するわ馬締と林の関係は漸進するわで、悔しいやら焦るやら。

とりあえずストーリーそっちのけで(またか)辞書の話を書き連ねます。(いささか長くなってしまいました。)


4話は辞書の中身に関する展開がありました。執筆要領語釈の原稿用紙です。

執筆要領とは、収録する見出しについて、どんな情報を何文字で、どういう体裁で盛り込むべきかなどの具体例を示したものだ。

(中略)

執筆要領が完成したら、見本の原稿を、我々編集部の人間が書く。実際に書いてみて、執筆要領の指示に不具合や抜け落ちている点がないかを確認するんだ。

西岡の「妙案」に乗って外部執筆者に依頼を始めるに当たり、荒木が執筆要領のあらましを述べる台詞です。原作の地の文をほぼそのまま荒木の口を借りて説明させた格好になっています(文庫『舟を編む』p76)。

しかし、「執筆要領はまだできていない」と口では言いながら、荒木が製本された執筆要領をばっちり手にしていたのは何なんですかね。

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こういう書類は、何の執筆要領かひと目でわかるよう示しておくものじゃないかと思うのですけども……書名も日付も見当たりません。

過去の辞書の分という線があるものの、「〈付録〉用例と出典の示し方」という点からすると、〈玄武国語辞典〉用である可能性は低めです。国語辞書の例文に出典は必須ではないですから、ページ数が限られ字数を抑えたい小型辞書の〈玄武国語辞典〉は出典を省いていても不思議ではありません。〈字玄〉か、他の古語辞書のための執筆要領でしょうか。いずれ明らかに……ならないと思いますが。


「漢字表記に関してなんですが、まずは執筆者に自由に書いてもらえればと思います」
「常用漢字にない漢字が、使用された場合は……」
「そのときは、編集部で積極的に、割ルビを振って読みやすくしていきましょう」

執筆要領の作成に取りかかった松本先生と馬締が業務的な相談をしています。かっこいいですね(小並感)。

常用漢字とは、「一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」として定められたものです(内閣告示より)。
数え切れないほど漢字があるうちで、「普段はこの漢字を使っておけばいいんじゃないの」と政府が目安として定めたものが常用漢字と呼ばれ、2136字(&その読みなどが)あります。

この2136字から外れた字には難しい字もあります。平常、手書きやPCで文章を書く際にはそんなに注意することもないのですが、公的性質の強い辞書や、新聞や公文書の作成者は割と気を遣います。だから馬締も松本に問うている。

例えば、仮に「茫洋」の語釈を外部執筆者がこんな風に書いてきたら。

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「浩」「蔓」は常用漢字に入っていません。
幸い、難読の文字に対しては「読み仮名を振る」という解決策があります。そこで松本は割ルビ、つまり振り仮名を提案しています。ルビは通常、文字の上か右の余白に付きます。

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一般的な本ならこれでよいのです。
ところが問題は、辞書には文字がぎっしりと詰まっているため、余白がありません。そこで松本の言う「割ルビ」が登場します。

ルビが行の中に折り畳んで突っ込まれています。これが割ルビで、余白を使わずに読みを示せる。その分、本文を多く盛り込むことができるわけで、辞書でよく見かける手法です。

岡崎体育の軽快な曲の向こうで、老国語学者と新米辞書編集部員は、こんな紙面を想像しながらことばを交わしていたのでしょう。


今回のもうひとつの見どころは、何と言っても語釈用の原稿用紙が写ったことです。私は初めて見ましたので興奮しましたが、全然話題になっていない。悲しい。

語釈用の原稿用紙はこんなでした。

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えーと、作り方の話はもういいですね。また自作による再現です。

真ん中に語釈を書くます目が並んでいるほか、右手には見出し用と思しき枠と、「歴史かな」「原語」「標準表記」「慣用表記」「アク」「品詞」の欄があります。左手には備考欄があり、下に「執筆」「修正」「校閲」と、たぶんハンコを押す欄が並んでいます。判型はB5とみられます。

この原稿用紙を眺めるだけでも、国語辞書の項目には、ことばの意味のほかに(1)平仮名表記 (2)歴史的仮名遣い (3)外来語の原語 (4)標準的な表記 (5)それ以外に、慣用的に用いられる表記 (6)アクセント (7)品詞の記述があるとわかります。

実際には7項目どころでは済みません。「使用者に伝えたい情報は意味以外に三十項目ぐらい」ある、と述べた辞書編纂者もいます(見坊豪紀『辞書をつくる』p73)。


辞書に何が書いてあるかを知るためには、その辞書の凡例を読んでみるのが手っ取り早いでしょう。
凡例(はんれい)は、項目の見方・読み方を解説した、いわば辞書の取扱説明書で、序文の後くらいに載っています。
序文と並び、辞書制作者が最も読んでほしいと願いながら最も読まれることがないページではないかと思います。

ある意味当然ですが、オンライン辞書に対応した辞書であれば凡例もネットで見つかります。
例えば、〈大辞林〉の凡例は、〈三省堂ウェブディクショナリー〉などで読めるようになっています。

見出しにおいて「和語・漢語は平仮名、外来語は片仮名で示した」とあります。つまり、見出しがひらがなかカタカナかという部分も立派な情報というわけです。
以後もこの調子で説明が続き、すこぶる長いです。使用前に一瞥をくれておいて、時折戻ってきて確認するくらいがちょうどよいのかもしれません。


辞書には実際のところ、何が書いてあるのか。
1話のサブタイトル語釈を振り返ってみましょうか。

ぼう-よう【茫洋】
広々として、とらえどころのないさま。「―たる海原」

数秒足らずで読めてしまうこの短い項目にどれだけの情報があるか、試みにリストアップします。

  1. 平仮名表記は「ぼうよう」。
  2. 語構成(ことばの要素)は「茫」と「洋」に分けられる。(ハイフンで分けている)
  3. 標準表記は「茫洋」。
  4. 意味は、広々として、とらえどころのないさま。
  5. 「茫洋たる海原」という使い方をする。

以上の5点です。と言っても、読み手がどこに何を見出すかが問題ですから、これ以外の情報だって引き出せます。しかし、少なくとも上に挙げた5点は間違いなく盛り込まれていると言えるでしょう。

さてさて、「本物」の情報量や如何に。ここでは〈大辞林〉の「茫洋」を、〈三省堂ウェブディクショナリー〉から引きます。今回は三省堂の宣伝みたいな話ばっかりになってきました。

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狭い紙面に大量の情報を入れるために記号が多用され、ごちゃごちゃしています(本来、デジタル辞書には必ずしも関係のないことですが……)。

同じように整理してみましょう。先ほどのサブタイトル語釈とかぶる項目のみ太字にしてあります。

  1. 平仮名表記は「ぼうよう」。
  2. 語構成は「茫」と「洋」に分けられる。(スペースで分けている)
  3. 歴史的仮名遣いでは「ばうやう」。
  4. アクセントは平板。([0]の記号)
  5. 標準表記は「茫洋」。
  6. 「茫」の字は常用漢字外。(▼の記号)
  7. 慣用表記は「芒洋」。
  8. 「芒」の字は常用漢字外。(▼の記号)
  9. 文語形容動詞タリ活用に相当する口語で、「茫洋と」・「茫洋たる」の形でそれぞれ副詞・連体詞として用いられる。((トタル)の記号)
  10. 文語形。([文]の記号)
  11. 品詞は形容動詞タリ活用。(「形動タリ」)
  12. 意味は、広々としているさまや、広々として目当てのつかないさまを表す。
  13. 「茫洋としてつかみどころがない人物」「茫洋たる大海」という使い方をする。
  14. 派生語は「茫洋さ」という名詞がある。

多い。さっきの3倍ほどあります。
逐一解説すると煩瑣なのでしませんが、現実の国語辞書は小さなスペースに膨大な内容を詰め込んでいます。地図なんかも同類ですが、この手の資料は高度な編集技術で情報を圧縮保存してあったりするので、展開すると凄いことになります。

また同時に、見た目の「辞書っぽさ」と実際の辞書の様相は、意外とあんまり関係ないことも実感されます。だって、あれだけ情報を省いても、エンディングが始まった瞬間みんな「辞書だ」と思うわけですからね。

辞書の編集術もタイポグラフィの力も、偉大です。〈大渡海〉の紙面がどのようになるのか楽しみです。


長い上に何だかよくわからない終わり方になってしまった。

ちなみに日本語での「アクセント」とは、音の高低を指します。「箸」「端」を聞き分けられるのはアクセントのおかげです。
余談ながら、〈NHK日本語発音アクセント新辞典〉や〈新明解日本語アクセント辞典〉などを入手しなければアクセントの情報を引けない、と誤解している人は多いようです。

実際には上の〈大辞林〉のようにアクセントを載せている国語辞書はあり、ほかには〈新明解国語辞典〉7版、〈集英社国語辞典〉3版、小学館〈新選国語辞典〉9版などがそうです。
驚くべきは、三省堂〈デイリーコンサイス国語辞典〉というポケット版の辞書でもアクセントがわかります(この辞書は色々すごいのでいずれちゃんと紹介したい)。

〈コンサイス国語〉は旧版を〈三省堂ウェブディクショナリー〉にて無料で引けます。試しに「アクセント」を見るとこう出ます。

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この辞書では、見出し(「アクセント」)の後ろにある数字(「1」)が、「音が下がる位置」を示しています。
すなわち、1文字目の「ア」を高く発音して、そこで音が下がるので、「ク」からは低くなる。
まあ、よく知っていることばを色々引きつつ口に出してみる方が納得しやすいでしょう。「わかる」は「2」、「ことば」は、後ろの助詞から下がり始めるので「3」、「色々」は音が下がらないから表示がありません。慣れれば、何てことはありません。


専門の辞書の方が優れている部分も無論あることと思います。しかし、オンライン辞書や手持ちの辞書で間に合う場合も、意外とあります。取りあえずは引いてみて、凡例を読んでみるべし、です。

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