舟を編む#1:辞書の個性と、〈岩波国語辞典〉
『舟を編む』第1話がついに放送されました。
いやあ、いい作品ですね。
先行上映会で既に鑑賞しているので少々わざとらしいようですが、何度観てもいいものはいいのです。
スクリーンショットをバシバシ貼り付けたいところながら、流石に差し障りがあると思いますので文字での感想にとどめましょう。
登場人物の顔の演技が素晴らしい、とか、空気が流れる演出、文字だけにフォーカスが合って浮き上がってくる演出最高、とか、神保町古書店街!とか、「池袋リブロ本店」!!とか、〈三省堂国語辞典〉第4版!!!とか、いかん、だんだん見ているポイントが細かくなってきた。
とは言え、今回は導入で、まだ辞書づくりは始まっていません。次回以降のさらなる展開が実に、実に楽しみです。
そんなわけで、以下は『舟を編む』にかこつけて、私が言いたいことを勝手に言うだけの記事です。
第1話のじしょたんずは「辞書にはそれぞれ個性がある!」ということで、ヒロシ、リン太、泉くんが簡単な自己紹介をしました。
彼らには元ネタがあり、そのまま元ネタの辞書に通じる個性が与えられていると目されるものの、どうしてか公式サイトでも本編でも触れられていません。触れない方がいいのでしょうか。そんなことはないと思うけど……そう言えばヒロシは、ページを開いたところにも顔があった。どういう構造なんだろう。まさか全ページに顔が?
元ネタは監修にクレジットされている飯間先生がツイッターで説明していました。
アニメ「#舟を編む」の「おしえて!じしょたんず!!」に出てくる辞書たちは、ヒロシ=『広辞苑』、リン太=『大辞林』、泉くん=『大辞泉』、そして海くん=『大渡海』です。辞書ファンの方は当たり前すぎてツイートしないと思うので、私が解説しておきます。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) October 13, 2016
ともあれ、辞書は皆、同じように見えても違っているわけです。
初回にふさわしい、極めて基本的かつ、これ以上ないほど重要な事実です。しかしもしかすると、実生活でこのポイントを意識する場面は案外、多くないのかもしれません。
劇中、荒木は語ります。
語釈、収録語の傾向など、辞書にはそれぞれ個性がある。ひとつとして、同じ辞書はないんだ。
その彼が中学生の頃に使った辞書の話が第1話冒頭に出てきます。
〈岩波国語辞典〉、通称〈岩国〉(いわこく)です。
あれはきわめて端整で上品な辞書だ。
だから、思春期の荒木が求めたような、「シモがかった」ことばは載っていない。それが〈岩国〉の個性だ……というのが松本先生の見解でした。
しもがか‐る【下掛(か)る】《五自》話が、下品、みだらな方面に及ぶ。「―・った話」
―〈岩波国語辞典〉第7版新版(2011年)
〈岩国〉は1963年に刊行された、歴史ある国語辞書です。現在は第7版新版が出ています。
年齢を考えると、荒木が譲り受けたのは1963年の初版でしょう。最近、酔狂にも外装の画像をアップロードしている人がいましたね。
それで、アニメ第1話は2000年が舞台でした(第1話背景に2000年のカレンダーやポスターが映っていた)から、そのときに定年=60歳間近となっていた荒木の生年は1940年頃と推測されます。したがって、彼が中学生の頃は大体、1950……ん? んん?
……えー、天下の岩波ブランドを冠して今なお版を重ねるロングセラー辞書のひとつ〈岩国〉ですが、この辞書、お堅いので有名です。
ふつうはスルーしてしまう辞書の「序文」をちょっと読んでみましょう。じしょたんずが自己紹介をしたように、辞書は(国語辞書以外であっても)「序文」で自己紹介をするのです。
この辞書が視野に収めるのは過去百年の(一時的流行ではない)言葉の群れである。それゆえごく最近の新語・俗用にはかなり保守的な態度となる。
―〈岩波国語辞典〉第7版新版(2011年)
言い切りました。「一時的流行ではない」! 「新語・俗用にはかなり保守的」!!
じしょたんずにいた、「オレは威厳を持ちつつ新しいことばにも柔軟だなー!」「ボクはナウい、いや今キテいることばを多く収録しているのが自慢だねぇ」と言ってる人(人?)たちの姿が思い出されます。
彼らは〈岩国〉に喧嘩を売られているのかもしれません(そんなことはない)。
さておき、保守を自称する〈岩国〉、一体どんなことばを載せていないのでしょうか。
例えば、新語に強い〈三省堂国語辞典〉の第7版(2013年)では、こんなことばが項目になっています。
味玉、ガン見、KY、現計、ちーママ、大王イカ、チャラい、読者モデル、どや顔、どんだけ、どんつき、何気に、ぶっち、変な話、レアアース
最新の〈三省堂国語〉に載っているものから「俗っぽいと思うけど、近頃見聞きすることがあることば」を15個、私が至極適当に選んでみました。
では、このうちいくつ、2011年に出た〈岩国7版新版〉が収めているでしょう?
答えはゼロです。
ひとつもありません。
ゼロ!
だいたいですねえ、この〈岩国〉、「ちんちん」を引いても「陰茎」の意味がないんですよ。いかな辞書が堅気な書物といえども、流石に珍しい部類に入ります。オトナの世界を覗こうとして「端整」の分厚い壁に跳ね返され落胆のあまり時空の歪みを漂う荒木少年の姿が目に浮かぶようです。
おっと、待ってください。「何気に」には言及がありました。〈岩国〉の「何気」を引いてみます。
(※強調部は引用者による。以下同じ)
なにげ【何気】 『―(も)無い』これといった考えもない。深い考えもない。特に注意せず、関心を示さない。「なにげない風をよそおう」 ▽これの副詞的用法「何気無く」を「何気に」と言うのは一九八五年ごろからの誤用。
―〈岩波国語辞典〉第7版新版(2011年)
やっと載っていたかと思えば「誤用」! けんもほろろの対応です。
ちなみに〈三省堂国語〉の「何気に」は、俗語と断った上で「なにげなく」「さりげなく」「意外に」と意味を分けて説明しており、要するに「何気なく」とは違う用法でも使われるんだ、という点を押さえています。
我々がふだん何気なく使うことばを載せないのは〈岩国〉の怠慢でしょうか。
そうではありません。これが〈岩国〉という保守的な辞書の方針なのです。
そのかわり、というと適当でない気もしますが、〈岩国〉は日本語の中でも特に大事と思われることばを丁寧に説く辞書です。
例えば、日本語になくては成立しないことば、「ある」。
あ-る【有る・在る】《五自》[一]存在する。⇔無い。 ①目の前に見えるとか触れて固さを感ずるとか、何らかの感じをその人に起こさせるものを認めると共に、他の人もそれを認めるだろうと期待する(信ずる)場合、また、感覚を越えたものについても、思考の対象としてこれに似た情況が考えられる場合に、そのものが「ある」という。あるということは、直接にはこのような仕方を通してとらえるから、当の事物が我々の世界に現れること、そのものとして持続すること、どの位置かを占めること、何かとの特定関係(特に所有関係)を平均以上に有すること等を、結果的に表す。……
―〈岩波国語辞典〉第7版新版(2011年)
実に詳しい。
あるいは、「強い」。
つよ-い【強い】《形》(しんがしっかりしていて)力が豊かだ。⇔弱い。 ①積極的に働く力にあふれている。(ア)しとげる腕力・能力が十分にある。「けんかに―」「―チーム」「気が―」(気性が激しく、容易にはへこたれない)……(イ)勢い・作用が激しい。「―口調で責める」……②抵抗力に富み、簡単には壊れたりくずれたりしない。「―体を作る」……
―〈岩波国語辞典〉第7版新版(2011年)
ことばの全体的・中核的な意味をまずとらえ(「力が豊かだ」)、それから徐々に使い分けによる意味の違いを考え(「積極的に働く力にあふれている」→「しとげる腕力・能力が十分にある」)、そうして必要ならば具体的な例について個別の意味を与えていく(上記では「気が強い」の「気性が激しく……」)、というのが〈岩国〉のやり方です。
細分化した意味を列挙する方式としばしば対比されますが、「今すぐ個別的な意味が知りたい」というインスタントな要求に応えるより、「日本語においてそのことばが持つ意味合い」を理解するための、読む辞書として作られていると言えましょうか。この辞書の序文には、
読者(あえて利用者とは言わない)
という表現も見られます。
かように丁寧かつ保守的な〈岩国〉ながら、その裏側に意外な(とも思われる)顔を持っています。
時々、みょうに粗忽で、個人的な熱のこもった(としか思われない)説明を載せているのです。
「調理」の説明はたった一言の言い換えで済ませています。
ちょうり【調理】《名・ス他》 料理。……
―〈岩波国語辞典〉第7版新版(2011年)
いや、でも、調理と、料理は違うでしょ?
「ネパール調理店で食べた鳥調理がうまかった、あの調理人はなかなかの腕だ、久々に自分で調理がしたくなったので帰りに本屋に寄って調理本を買おう」とは言えないはずです。
あるいは、「せる」の、「させていただく」に触れた部分。
せる 《助動》 ……▽「勝手ながら今月末で閉店させていただきます」など、「…いたす」で済むところに「…させていただく」を使うことが多くなり、一種の敬語かに思われているが、本来は浄土真宗を信仰する者が仏のお恵みにすがりお許しをいただくという気持で使った言い回しが広まったもの。その気持も無く乱用するのは(相手の了解を取ったことを前提とする表現になるから)押しつけがましい。
―〈岩波国語辞典〉第7版新版(2011年)
こんな長く書く必要ありました、これ?
かくしんはん【確信犯】 政治的・思想的または宗教的信念に発して、それが(罪になるにせよ)正しい事だと確信して行う犯罪。▽一九九〇年ごろから、悪いとは知りつつ(気軽く)ついしてしまう行為の意に使うのは、全くの誤用。
―〈岩波国語辞典〉第7版新版(2011年)
さっき「何気に」を誤用と言われてしまいましたが、こちらはただの誤用ではない、全くの誤用。こんな厳しい辞書ほかにあったかな。
れる 《助動》 ……▽……また「見れる」「着れる」「来れる」「食べれる」など、ら抜き言葉(意図的に抜くのでないから適切には「ら抜け言葉」と呼ぶべきか)として話題になる現象は、……
―〈岩波国語辞典〉第7版新版(2011年)
えーっと、どうでもよくないですか?
一般に、辞書の文章は、一字一句を惜しんで書かれます。説明したいことばも意味も無数にあるのに、それを載せるページの大きさと枚数は絶対的に限られているからです。
なのに、「(意図的に抜くのでないから適切には「ら抜け言葉」と呼ぶべきか)」と言いたいがために構わず31文字を費やす〈岩国〉。
世が世なら、31文字あれば人は愛を詠んで想いを伝えていたわけですよ。
なのに、それで「ら抜け言葉」という用語を導入するパワーには恐れ入ります。
『学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方』という、国語辞書を楽しく紹介する本があります。
学者芸人のサンキュータツオ氏が、辞書の個性を擬人化によって説明するという、単に楽しいだけでない非常にすぐれた本です。
が、私は、その性格付けに必ずしも同意しておりません。〈岩国〉をして「語釈がスマートで無駄がなく、……つまり、やや面白みのない男」と評する部分などがそうです。
タツオ氏は、〈岩国〉をずばり、
模範的な委員長
―『学校では教えてくれない! 国語辞典の遊び方』p130
と擬人化する。
そんなことない、と私は思います。〈岩国〉は、面白い。
今見てきたように、〈岩国〉は「▽」マークの後でしばしば饒舌になります。……実は▽はさかずきで、酒が入ると語り始める系の委員長という可能性もあるか……。
ちなみにあまり宣伝されていませんが(岩波書店は知ってほしくないのかも)、〈岩国〉は無料で引けます。Googleと提携しているようなのです。
試しに、Googleで「ある 意味」「つよいとは」などと検索してみましょう。さっき引用した〈岩国〉の語釈と同じ文章が現れますね。出典はなぜか表示されていません。
しかし残念なことにGoogleの〈岩国〉は、項目全部までは読めません(一部表示されるものもある)。
特に、肝腎の(?)「▽」以降が省略されることが多く、Googleで「せる 意味」と引いても浄土真宗のくだりにはお目にかかれません。
〈岩国〉を楽しむには、やっぱり買うしかないようです。
ここまで記事を作成して思い出しました。
だいたい、飯間先生が前に書いてた話だった。
Googleに国語辞典機能がつきました。そのソースが『岩波国語辞典』第7版であることが話題になっています。私の感想を書きました。結論としては、Googleの辞書機能だけで満足せず、『岩波国語辞典』を買いましょう、ということです。 pic.twitter.com/Y1RxFXeouv
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) May 4, 2015
……。
過去の意義深いツイートをご紹介できたのでよしとしましょうか。
すっかり長くなってしまいましたが、「辞書にはそれぞれ個性がある」。
そして〈岩波国語辞典〉にも(もしかしたら予想とは違った)個性があり、それは買って読んだ方が楽しめる、という話でした。