舟を編む#6:アニメ前半を原作と比較してみる
『舟を編む』も6話を終えて、いよいよ折り返し地点に差し掛かっています。
今回大きく取り上げられたのは、「日本普通語ノ辞書」〈言海〉でした。詳しい説明は例によってながさわ氏のブログに譲ります。
と言って、あんまり人任せにするのも何なので〈言海〉を1行でまとめますと、
- 〈言海〉はえらい。
やりすぎですね。3行にします。
- 〈言海〉は現在出版されている国語辞書の親玉である。
- 〈言海〉を編んだ大槻文彦が、現在使われている日本語の文法をはじめて整理し、普及させた。
- 〈言海〉の出現によって「国語(日本語)」という意識が生まれた。
うーん、こんなところで大丈夫かな。実は〈言海〉については私はさほど自信を持っているわけではありません。(と言うか全体的に自信はない。)
詳しくお知りになりたい方は、〈言海〉編纂事業を中心に大槻の人生を語った高田宏『言葉の海へ』などを読むとよいかと思います。
ちなみに、間近に迫る今月25日には、この『言葉の海へ』を題材にした演劇も仙台で上演されます。
きょうやっていた東京公演を観ましたが、私は気に入りました。仙台近辺の方は行ってみてはどうでしょうか。
ツイッターでは、〈言海〉の版ごとの違いをめぐって、興味深いやり取りがなされていますので、ご紹介します。
『言海』の「料理人」の項目を貼っておきましょう。たしかに「廚人」という同義語が書いてあります。ただ、『言海』に「廚人」の項目はないようですね。#舟を編む pic.twitter.com/e5130fmixj
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) November 17, 2016
言海の「語釈の末」に見える二重傍線の漢字表記は、「漢用字」「漢の通用字」であって、日本の「通用語」ではないので、言海の項目語にはなりませんね。「料理人」は単線しか引かれていず、和用のみですね。凡例(三八)https://t.co/KGFK2Mewya
— 岡島昭浩 (@okjma) November 20, 2016
ありがとうございます。「廚人」は要するに中国語という扱いですね。ところが、その後の「料理屋」にある「酒楼」、「歴歴」にある「貴族」は二重傍線ですが、別に独立項目があります。これはちょっと意味が分かりません。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) November 20, 2016
「料理屋」は日本語だから、中国なら「酒楼」だよと載せています。ところが、ちくま学芸文庫の「酒楼」の項目は「和の通用字」のみの表示。じつは、小形本では588版まで、ちゃんと「和漢の通用字」の表示で、593版から線が1本消えたのです。
— 境田稔信 (@pX03dDIs4dQ1G3x) November 22, 2016
一本線の、https://t.co/EuHRSm3tZ4
は、私がhttps://t.co/RvZag5e1EA
に置いていた、刊記欠の小型本をもとにしてるのですが、おかげで593版以降であることが分かりました。— 岡島昭浩 (@okjma) November 23, 2016
その奥付を欠いた『言海』は、「新平民」の項目が削られて2行分の空白があるから603版(昭和4年2月)以降、「かははぎ」の項目が部分的に削られているから653版(昭和14年10月)以前のものです。
— 境田稔信 (@pX03dDIs4dQ1G3x) November 23, 2016
いやあ、面白いですね。面白いんですよ。
ここで展開されているのは要するにちょっとした推理です。辞書は版ごと・刷りごとに(ひそかな)違いがあって、その差異を見つけていくと、たとえ奥付のないものであっても刊行時期を絞ることが可能です。
劇中松本先生や馬締が繰っていた〈言海〉も、頑張れば底本が解析できるのかもしれません。私はやりません(できません)けども。
とまれ、辞書に魅入られた者とは、バージョンの違う辞書があればまず見比べたくなるものなのです(断言)。
辞書に魅入られ、辞書沼に沈んでいく者の姿はたぶんこんな感じでしょう。
さて、『舟を編む』が11話構成なのか12話構成なのかはわかりません。いずれにしても、6話を終えてこれから後半に入るとみても良いでしょう。(11/25追記:残り放送日をきちんと数えたら全11話ですね。)
そこで、ここまでの流れを簡単ながらチャートにまとめてみました。色んな場面が大幅に省略されていますがあしからず。
せっかくですから、原作と読み比べて、進行上の差異をいくつか挙げてみましょう。ページ数は文庫版です。
(羅列しただけの見苦しいリストで恐縮。)
- 西岡が馬締と直接出会っている。
- 原作では、西岡は人づてに馬締の噂を聞く。(p17)
- スカウトする場面に西岡が立ち会っている。
- 原作では、荒木だけ。(p18~)
- なおスカウト時に馬締は『大都会』を歌わない。
- 場面が整理され、七宝園での歓迎会に会話が集中している。
- 原作では、西岡の合コンの誘い、馬締が携帯電話を持っていないという話は辞書編集部内。(p31)
- エスカレーター観察の話を七宝園でするのは原作と同じ。(p33)
- 原作では、「犬」の話は冒頭に荒木のモノローグ的に登場する。(p5~6)
- 「辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める」を松本先生が語る。
- 原作では、この台詞の担当はなんと荒木。(p34~35)
- かなり早い時期に林香具矢が登場。
- 原作では、馬締が異動して3か月くらいで馬締と香具矢が出会う。(p51)
- なおこの時期、荒木は既に定年退職しており、常勤ではない。(p55)
- 項目選定のために照合する辞書が〈広辞苑〉〈大辞林〉〈大辞泉〉。
- 原作では、小型辞書に載っている項目は一重丸、中型辞書にあれば三角、とあるが具体的には不明。(p55)
- 西岡が馬締に〈三国〉の「恋」の語釈を突きつける。
- 原作では、馬締が自分で〈新明国〉の「恋愛」を読んでいる。(p52~53)
- 西岡が「梅の実」の予約をする。
- 原作では、佐々木が(勝手に)予約している。また、佐々木本人はついてこず、返事も聞かずに退社する。(p62)
- 西岡が馬締に「ことばの理解ってやつは、実体験がないと身につかないんじゃないのかな」と言っている。
- 原作では、これに相当する台詞は松本が「梅の実」で発言。「自分のものになっていない言葉を、正しく解釈はできない」(p71)
ここまでで3話です。
そんなに厳密に見ているつもりもないんですが、それでも多くの点で変わっていることがわかります。そして4話以降も。
- 原稿依頼で〈大渡海〉企画を既成事実化することを発案するのは西岡。
- 原作では、馬締が画策。(p75~)
- デートで、林香具矢が言う料理と観覧車の類似点は、「どんなにおいしい料理を作っても、終わりじゃなくて、そこが始まり」。
- 原作では、「どんなにおいしい料理を作っても、一周まわって出ていくだけ」=摂取と排泄!(p90)
- 「完璧・完成はない」という話も(馬締の反応として)出てはくる。
- 馬締が下宿で恋文を書けずに白い便箋に向かっている。
- 原作では、仕事を終わらせ職場で書き始め、「謹啓 吹く風に冬将軍の~」という文面に西岡にその場で突っ込まれる。(p93~94)
- 西岡が役員から〈玄学〉改訂と異動を直接命ぜられる。
- 原作では、荒木が役員から企画続行の「言質を取る」。異動の件は荒木経由で西岡に伝えられる。馬締らに秘密にするのは荒木の判断。(p95~97)
- ここは割と感じが異なるところで、アニメでは役員が辞書編集部に無理難題を押し付けて〈大渡海〉を諦めさせようとしている様子が強調されている。原作では、どうやら荒木が積極的に行動・交渉し、〈大渡海〉続行のための条件を役員に呑ませたようである。外部への依頼発注という独断専行が問題視されたかどうかもわからない。
- 西岡が異動を公表するのは、役員に言われた翌日。
- 原作では、荒木・西岡は異動の件を最低でも1週間は隠している。(p94~111)
- 松本が「業」の話をする。
- 原作では、馬締が〈言海〉で「料理人」を引いたときにモノローグとして出てくる。(p113~114)
大体、こんなものでしょうか。
今更言うことでもありませんけれど、アニメでは西岡の行動の重要度がかなり上がっています。
馬締に最初に出会うのが西岡、「梅の実」を予約するのも西岡なら、既成事実化の発案者も西岡、異動の内示を隠す(と言っても翌日までですが)のも西岡だけの責任になっている。西岡有能。
そもそも原作は5章立てになっており、それぞれ荒木、馬締、西岡、岸辺(アニメ未登場)、馬締のストーリーが押し出されています。
アニメの方は、1話こそ荒木の話という感じだったものの、以降は馬締・西岡がメインで、こうして比較してみるとその辺りの違いがよりいっそう明瞭です。榊原良子ボイスの佐々木さんももっと活躍してくれ。
今回、映画版は取り上げませんでした。あれもまた相当異なっていますし、ITANで連載中の漫画版も恐らく差異が出てくるでしょう。その辺も機会があれば比較を試みたいところです。
何しろ、バージョンごとに比べてしまうのは、辞書沼にいる者の「業」ですから。