舟を編む#2-2:玄武書房辞書編集部の用例カードを自作する
『舟を編む』第2話では玄武書房辞書編集部の用例採集カードが大きくクロースアップされました。今回はストーリーそっちのけでこの用例カード(と以下省略します)を見ていきます。
なお、記事の性質上、アニメの画像を引用している箇所があります。引用です。
用例カードとは、2話でたびたび出てきたこのカードのことを指します。
ながさわ氏がブログで用例カードについて解説していますので、万一ご覧になっていない方は先に読まれるとよいと思います。
カードの文章はどれも出典があり、これを突き止めるという苦行偉業もながさわ氏は成されています。私には到底真似できない苦行偉業に敬意を表します。
ただ、ながさわ氏が「特定するのはもう疲れたのでやめます」と書かれている「こと」及び「このかた」に関して申し上げますと、まず「このかた」は山本周五郎『ながい坂』です。
「こと」の方は向田邦子『思い出トランプ』の一篇『耳』です。
「お父さんたら、いつもあたしのこと膝にのっけて、耳の糸、引っぱって遊ぶのよ。いやンなっちゃう」
単行本か文庫本かは不明ですが、文庫なら178ページに該当箇所があります。
なお「だよね」は、作家名が「桐」で始まっており「山ちゃん」という登場人物がいるらしいことから桐野夏生『OUT』と推測されます。
話がそれました。
用例カードは、実は第1話にも箱に入った形でひっそりと描かれている場面があり、また『教えて!じしょたんず!!』のコーナーでも背景にさりげなく映り込んでいたりします。
下手側でケースに入っていますね。
今気づいたのですが、手前に放ってある赤鉛筆の削り方がいかにもナイフを使ったようで、あんまりきれいじゃないですね。後ろにある鉛筆削りは使われていないのでしょうか。
余談ながら、アニメ公式サイトの人物紹介ページでも、用例カードっぽい意匠が採用されています。
そう言えば映画のプログラムや公式サイトにも同様のデザインがあしらわれていました。用例カードにはデザイナーを惹きつけてやまない何かがあるのかもしれません。
また話がそれました。
第2話ではいよいよ用例カードが本格的にフィーチャーされました。中華料理店では何カットか大写しになっています。
どうぞ皆さんご自宅で再現してください、というアニメ制作者のあたたかい声が聞こえてくるようです。
そう言われたからには(言われてません)、用例カードを自作してみようと思います。
松本先生が常に携帯している玄武書房辞書編集部の用例カードは、はがきを小さくしたような縦長の紙に、原稿用紙と同様のます目が14文字×6行で並んでいるレイアウトです。
その右上には頭文字を書く大きめのますがあり、ことばの欄、品詞・出典・年月日・頁の各欄が続きます。左には備考の欄があり、左下の隅には「玄武書房」と社名が特徴的なフォントで入っています。
直線的なデザインです。何なら定規で線を引くだけでもそれっぽいものが作れそうですね。
しかし問題は、寸法がどのくらいか、ということです。
通常の原稿用紙は、日本工業規格JISS5508(HTML版)で寸法が定められています。同規格によると、ます目のサイズは10ミリ四方、8.5ミリ四方、または8ミリ四方の3種類とのこと。おそらくこのどれかが「正解」と思われます。
ヒントとなるのはこの場面。
用例カードと並んで置いてある黒いペンのサイズがわかれば、カードもおよそ推定可能なはずです。
で、松本先生ご愛用のペンは、既に好事家によって特定済みです。
当たり前すぎて誰も指摘していませんが、松本先生の万年筆はモンブラン。形状からしてマイスターシュテュック146か149。用例カードの大きさとの比較、松本先生がキャップを付けて使っていることから、146の可能性が高いと思う。でも途中でキャップの金冠がなくなっているのは何故。 pic.twitter.com/rOjg26Zoqv
— JJMalone (@jjmalone_) October 22, 2016
つまり、モンブラン・マイスターシュテック146なるペンの大きさが、次なる問題です。本物を入手して比較するのが本道ですが、定価は6万円以上。そんな予算があるなら私は辞書を買います。
ここはネットでどうにかしたい。検索を試みると、おあつらえ向きにも定規と並べて撮影した写真があるではないですか! ちょっと失礼して、転載させていただきます。
下がマイスターシュテック146(上が149)です。
見たところ、キャップの先端が14.3センチの目盛り位置、金の帯が8.1センチの位置くらいにあります。間は約6.2センチ長であり、これが約7ます分に当たります。6.2÷7≒0.886なので、ひとます88.6ミリ四方。うーん、計算上はちょっと大きいものの、作画上の都合や、私の推定の粗さから3、4ミリの誤差が生じたものとして、松本カードのます目は85ミリ四方の規格である。ということでどうでしょうか。
ちなみに、傍証になるかわかりませんが、用例採集に人生を捧げたかの見坊豪紀が使用していた用例カードも、85ミリ四方のます目でした。実測していますので間違いありません。
ただ、見坊豪紀の用例カードはレイアウトが異なります。20文字×5行の100文字に、右上の書き出しの部分に1文字分余計にくっつけた、縦長(タテ208ミリ×ヨコ74ミリ)のデザインです。朝日新聞のサイトに写真がありましたので、興味のある方は下のリンクからどうぞ。
さて、寸法が明らかになってきたところで、実際に描いてみましょう。Adobe Illustratorを使用して、アニメをキャプチャした画像の上に線を置いていきます。
楽なものですね。正直、苦労が何もないので、製作記にもなりません。
ただ、正方形のます目を繋げていくと何故かずれる部分があって、やや気になります。
しかも、この一部分だけだとわかりにくいんですけれども、ずれ方が一様ではないように思われます。カメラで撮影したときのレンズの歪みでも作画で再現されているのでしょうか。
ともあれ、そのへんは適当に処理。たぶん0.5センチ単位のグリッドの上で組まれているものと踏んで、それっぽく紙面を区切っていきます。
フォントは同じものがなかったため手持ちから似ている形を押し込めば(「玄武書房」の社名は全然似ていませんが)、あっという間にレイアウトは出来上がりです。
と言っても、まだ完成していません。肝腎の紙の大きさが決まっていないからです。
松本先生がカードに大きく「大渡海」と書くカットで、ひとますを85ミリ四方として測定すると、カードの幅は約102ミリ。A6判の短辺が105ミリですので、ほとんど一致します。しかしこのカットでは上下が画面から見切れており、縦の長さは不明です。
やむを得ません、力技を使いましょう。
モンブランのペンが転がっているカットでは、斜め上から眺めたカードの全体が映っていました。これを切り出します。
切り出した用例カードをPhotoshopで強引に、真正面から見据えた状態に整形します。えい。
はい。
幅を測ってみますと、やはり約102ミリ。そして長さは約145ミリ。A6判の長辺が148ミリですから、これまたほぼ一致しています。
結論してよいでしょう。玄武書房辞書編集部の用例カードはA6判を縦に使ったものです。
(11/2追記:上で「はがきを小さくしたような」と書きましたが、A6だとほぼ官製はがきと同じサイズになります。)
版面が定まりましたので、紙のサイズを設定し、トンボ(裁断用の目印)をつけます。
かなりそれっぽくなってきました!
あとは出力して、切り取れば……。
できました!
松本先生や、荒木、馬締が手にしていた用例カードが今、目の前にあります! やったぜ。
今回は用例カードの自作を試みました。
かなり確信に近い推測ですが、玄武書房辞書編集部の用例カードを束ねたノートは、いずれ公式グッズとして発売されることでしょう。そうでないと自宅に玄武書房の資料室を再現することができないので困る人が続出しますからね。そのときにまた、公式グッズのカードと私の自作したカードとを見比べて、再現度を確認してみたいと思います。
公式におかれましては、是非とも硬派な出来栄えをお願いしたいところです。(製作委員会の名前が『玄武書房辞書編集部』なのはいいですね。どこに入れても雰囲気を邪魔しません。)
ただ、その前に私がやるべきは、映画『舟を編む』の用例カードと、文庫版『舟を編む』の表紙に描かれた用例カードの自作でしょうか。映画の方はどんなものかほぼ明らかなのでいいとして……文庫のこれは、何でしょう。
20文字×7行のます目。「採・否」の欄。そして何より、謎の「カ・イ」「小・ケ」「新」の文字。
ちょっとばかり、調べる必要がありそうです。ご存じの方があったら教えていただきたく思います。